燃える闘魂「アントニオ猪木」はプロレス界のカリスマ

人物
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昭和を代表するプロレスラーと言えば、燃える闘魂「アントニオ猪木」。

『元気ですかーっ!』、『元気が一番、元気があれば何でもできる!』、『踏み出せば、その一足が道となる』、『いくぞー! 1! 2! 3! ダーッ!』など数多くの語録も有名で、元気づけられた方も多いでしょう。

 

猪木寛至こと「アントニオ猪木」は1943年神奈川県に生まれ、13歳でブラジルに移住しました。

農園での過酷な労働に耐え抜き、砲丸投げで優勝するほどの身体能力を身に付けると、力道山にスカウトされ帰国、1960年プロレスの道に進むのです。

ジャイアント馬場と共に、プロレス界を牽引するまで成長すると、1972年に新日本プロレスを立ち上げます。

数々の名勝負を繰り広げ日本中が熱狂、プロレス黄金時代の到来でした。

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1976年から自身及びプロレスが最強であること証明するように、異種格闘技戦も多く戦いました。

その中でもモハメド・アリとの一戦は、アリキックで最強ボクサーをなぎ倒し、世界に衝撃を与えました。

『闘魂注入』(ビンタ)に列を成し、崇拝するファン(猪木信者)は数知れず、アントニオ猪木のカリスマは永遠です。

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