1970年代以降、日本ゴルフ界を席巻した名ゴルファー尾崎将司(ジャンボ尾崎)は甲子園で活躍した球児でした。
徳島県立海南高校のエースとして1964年春の選抜高校野球大会に初出場で優勝する快挙を成し遂げました。
1965年将来を期待されて西鉄ライオンズに入団しましたが、プロ野球では頂点に立つことはできないと3年で退団。プロゴルフに転向し頂点を目指すのです。
プロテストを1970年に1回で突破すると、翌年には日本プロゴルフ選手権で優勝し、1973年に初代賞金王を獲得、ついにプロゴルフで頂点に立ったのです。
通算優勝113勝(国内ツアー94勝)、賞金王12回と前人未到の輝かしい記録を残しました。
最年長優勝記録(55歳でツアー優勝)やエージシュート(66歳で年齢以下の打数62でホールアウト)を達成するなど全盛期を過ぎても結果を出すところは流石です。
マレット(襟足の髪を伸ばした髪型)がトレードマークで、パワフルなプレーとコブラガッツポーズなどのパフォーマンス、圧倒的な存在感はカリスマ性があり、多くのファンを魅了しました。
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